愛される学校づくり研究会

★日々行われている授業には、私たち教師に「元気」や「気づき」を与えてくれるすばらしい風景がたくさんあります。そんな風景を体全体で感じる時、そこには必ず素敵なほほえましい子どもの姿があります。大成功を収めた授業、大失敗に終わった授業、意外な展開に胸が高鳴った授業など、それぞれの教師が伝えたい心に残る授業の一コマや、授業があることで輝く学校現場の風景などを紹介します。

【 第5回 】アンコール!
〜一宮市立大和中学校 山田貞二〜

「アンコール!アンコール!」

鳴り止まない拍手と「アンコール!」の大合唱。教員になって32年目の初夏。こんな経験をするとは思いもよらなかった道徳の授業。

ことの発端は、今年の2年生の自然教室の企画を考えていた学年主任の一言から始まった。

「毎年、自然教室の初日の夜に『立志の会』を行っているが、もっと生徒の心に残る会にしたい。」

この言葉を受けて、道徳推進教師である副主任が、「うちの学校は、道徳教育が教育活動の柱になっています。『立志の会』の中でも道徳の授業をやりましょう。家庭から離れた山の中で、いつも以上に生徒達は心を開き、自分を深く見つめるのではないでしょうか。ただ、学年道徳という形の授業は、やったことがないので校長先生にやってもらいましょう。」と提案をする。満場一致で可決。早速、緊張気味の表情で、副主任が私のもとへ。返事は、即「OK!」。先生方に授業を見てもらうよい機会であり、何より生徒を中心とした『立志の会』を企画しようとする気持ちが嬉しい。「来るものは拒まず、去るものは追わず」という自分の信念もあり、気持ちよく引き受けることに。

内容項目は2-(6)の「感謝」。自宅から離れて旭高原で生活しているこの時こそ、周りの多くの人に支えられている自分を見つめる絶好の機会。「してもらう幸せ」から、今度は自分が周囲の人たちを支えるという「してあげる幸せ」を感じる授業にしたいと考え、恥ずかしながら、「飛び道具」を用意してもらうよう学年主任に依頼。

さて、迎えた当日の夜。与えられた時間は約40分。通常の授業より10分短いのでコンパクトにまとめる必要あり。『立志の会』が始まり、まずは子ども達の将来に向けた希望や夢が語られる。そして、いよいよ道徳の時間。私が授業者と分かり、生徒の表情に「期待」という二文字が大きく浮かんでくる。心地よいプレッシャーを感じつつ、早速導入へ。初日の高原での生活の感想を聞きながら、焼きそば作りやウォークラリーで多くの友人や先生たちに助けられてきたことを、さりげなく意識してもらう。

そして、今日の資料の提示。まず1枚の写真を見てもらう。1994年、ピューリッツァー賞を受賞した『ハゲワシと少女』という写真。80年代から続く内戦と干ばつで深刻な飢餓状態となっていた南スーダンで報道写真家ケビン・カーターが撮った衝撃の写真。一羽のハゲワシが、やせ細った少女を狙う場面。この写真を映し出した瞬間、温かかった会場の空気が、一気に冷え固まっていくのを子ども達の表情から感じる。やっぱり衝撃が強すぎたかと少々後悔しつつ、この写真がどんな場面であるかを子ども達に確認。さて、この写真から子ども達は何を感じるか。

圧倒的に多いのが「かわいそう」という発言。何が「かわいそう」なのかと切り返す。「少女が死んでしまいそうだから」「ハゲワシに襲われると死んでしまうから」「弱っていて逃げることができないから」、そして「だれにも助けてもらえないから」という発言。写真の中の「ハゲワシ」と「少女」という2点から、目が大きく外の世界に。「かわいそう」という一言から、広大な荒地の中でだれにも助けてもらえない少女の身の上にまで考えが広がっていった。たった一人の少女、支えられない「いのち」がここにあることを生徒とともに確認する。

機が熟し、ようやく次の資料に入る。ケビン・カーターの手記等をもとにした自作資料。あえて、プリントは配らず、一人芝居風に語り聞かせることとした。照明も落とし、雰囲気をつくる(ちょっと自己陶酔しながら…)。内容は、ケビンがスーダンに入り、少女を見つけカメラを構えて撮影する場面が中心となる。

クライマックスは、ケビンが写真を撮影後、木陰に歩み寄ってしばらくの間、声を出して泣き続ける場面。もちろん、ここが中心場面。「なぜ、ケビンは泣き続けたのか」という中心発問。数分間、目を閉じて考えさせた後に、近くに座っている者と簡単な意見交換をさせる。友達の意見を聞き、声を出すことで緊張感がほぐれてくる雰囲気を感じる。さて、生徒達の考えは…。

「子どもがハゲワシに狙われている場面を見て、ショックだったから」「子どもが死にそうになっていて、かわいそうで泣けてきた」「死んでいく少女がかわいそうだったから」とやはり「かわいそう」という発言が大勢を占めていく。同じ考えの者に挙手をさせると、半分ほどの生徒が手を挙げる。さて、そんなころ、どうしても意見を言いたいという生徒が会場の後ろのほうで2人手を挙げる。

一人の女子が「かわいそうなんじゃなくて、何もできない自分が情けないから涙が止まらないんだと思う。」と発言し、すかさず、もう一人の女子が「何もできず、ただハゲワシを追い払うしかできず、こんな場面を写真に撮った自分が恥ずかしいからだと思う。」と続ける。ねらい通りとはいえ、中2でここまで発言できることに、かなり驚き、同意見の者を確認する。20名ほどの生徒が手を挙げていたように思う。

違う考えの人は、もういないかと会場に尋ねる。何名かがこちらをじっと見ている。こんなときに、生徒の表情や目は必ず何かを訴えている。授業者としては、ここが授業の最大のポイント。2人目にマイクを向けた生徒が、「この状況が、ただただ悲しくて泣けてきたんじゃないかと思う。」と発言をする。「こんな状況ってどんな状況だろう」と切り返す。「広い砂漠の中に、だれも助ける人がいない状況。見捨てられた状況が悲しいんだと思う。」とこたえてくれる。この発言を大きく取り上げ、授業を次の段階に進める。

いよいよ主体的自覚の段階。だれも助ける人がいないスーダンの現状と今の自分達が置かれた状況。多くの人に支えられてきた生徒達。だれに支えてもらってきたと尋ねれば、やはり真っ先に「お母さん」「お父さん」「家族」という言葉が出てくる。

さて、ここで「飛び道具」の登場。「今から家族に支えられた自分を感じてもらいます」という私の言葉に会場がすでにざわつく。「家族からの手紙を今から渡します。支えられている自分を感じてください。」という言葉も終わらないうちから、すでに泣き始める生徒、「ヤバイよ〜」と声を出す生徒、「先生、ずるいよ。これはダメだ」と涙ぐむ男子生徒がおり、会場が異様な雰囲気に包まれる。

家族からの手紙が手渡され、読み始める生徒。女子生徒のほとんどが涙し、号泣する生徒も…。男子は照れくさいのか、周りを見ながら何度も何度も手紙に目を落とす。もうすでに時間の40分が過ぎてしまい反省するも、なかなか収集できず。あらためて「飛び道具」である親の力の偉大さを感じる。ようやく涙が止まってきたところで、「では、今日の授業を終わります」と突然の授業終了宣言。異様な雰囲気に、まとめもせずに終わってしまう自分が恥ずかしい。と思った瞬間、会場から手拍子が聞こえ、

「アンコール!」「アンコール!」の大合唱。

長年、授業を行ってきて、授業のアンコールをもらったのは、後にも先にもこのときだけ。幸せな瞬間を体験させてもらいました。学年主任に感謝。「来年は、自分が授業をやりたい」という声が、会場にいた若手の教員の中から聞こえてきて、さらに嬉しい瞬間に…。

授業でたくさん失敗し、いっぱい悔しい思いをしても、こうした瞬間があるからこそ、授業はやっぱり止められない!

(2014年8月11日)

準備中

●山田貞二)
(やまだ・ていじ)

1983年、瀬戸市にて教員生活を始める。小学校勤務11年、中学校勤務21年目。現在、一宮市立大和中学校校長。一宮市での最初の勤務校が放送教育の研究発表校であったことから、道徳教育に目覚める。日々、新聞やテレビ、書籍、音楽などから資料を探し、授業実践を狙う。平成11年1月NHK「のど自慢」に出演したことで、多くの人と知り合い、自分に自信が持てるようになった。人生の転機。