★このコラムは、平成25年3月から9月まで、26回にわたり、日本教育新聞に連載をしてきた「校長塾 経営力を高める最重要ポイント」の続きです。「ぜひ継続を」という声をいただき、この場をお借りすることにしました。校長としての様々な実践事例を紹介しながら、私が考える学校経営力を高めるためのポイントを示していきたいと思います。主な対象は、若手管理職やミドルリーダーのみなさんです。「なるほど!こういう方法があるのか」「このようなことに心掛けるべきなのか」と、心の中にストンと落としていただけるコラムになるようにいたします。どうぞよろしくお願いします。
【 第15回 】落語家から学ぶ教師修行
―他人の授業を見る絶対量が足りない―
ここのところ、プロの落語家さんと一献することが続いた。四月には大阪の桂千朝師匠と、六月には東京の三遊亭兼好師匠と酒を酌み交わした。おかげで芸談をたっぷり聴くことができた。
その中で、教師が授業力をつける上で、とても大切であることがなされていないことに気づかされた。教師は若いうちにより多くの授業を見ておくとよいが、それがまったくできていないということだ。
落語家は入門すると、師匠についてあちこちの落語会に出かける。楽屋で師匠の世話をして、師匠が高座に上れば、舞台袖から師匠の落語を聴いている。聴くのは師匠の落語だけではない。他の落語家の芸も、(他にやることがないので)いやが上にも聴いている。若いうちは、それが修行でもある。
多くの落語家の芸に接しているうちに落語というものの捉え方が深まってくる。この芸風は己が目指すものと同じ、この噺は自分の任にあっているなど、多くの芸に触れているうちに、己が目指したい芸というもののイメージができてくるというのだ。
ところが、教師は他人の授業を見る量は圧倒的に少ない。新任当初から他人の授業を見ている時間は、ほとんどない。いきなり授業を受け持つし、校務分掌としていくつかの仕事を請け負うからだ。
ある社会科新任の授業を見たときだ。ひっくり返りそうになった。授業の冒頭で次のように言った。「教科書を開いてください。今から大切なところを言いますので、皆さんはそこに線を引っ張ってください」
心の中で「何じゃ、この授業は」と叫んでしまった。課題に興味を持たせたり、授業のねらいを知らせたりすることもない。職員室に戻ってきた新任にどうしてあのようなことをしたのかと聞いてみた。
「僕が中学校で習った社会科の授業では、初めに教科書の大切なところにラインを引きました。先生がそれについて解説してくれたのです」
もちろん悪びれたところはない。これこそが社会科授業と思っているからだ。自分が学生時代に受けた授業を、ほとんどの教師はモデルとして考え、それを再現しようとするからだ。
兼好師匠は次のようなことを言われた。
「若い者(弟子)が落語を聴いていて、名人と言われる落語家の芸は凄い!とは感じますが、その理由を分析する力は当然ありません。ところが、なぜこの落語家の噺は面白くないのか、なぜお客が離れていくのかは、若いうちでも分かるのです。良いことより、悪いことの方が分かりやすいのです。授業でも同じではありませんか」
十分に納得できる話だが、教師の世界には若いうちに徹底的に他人の授業を見ることは位置づけられていない。己の努力で作り出すしかないのだ。大きな課題をつきつけられた師匠との一献だった。
(2014年6月23日)