★愛される学校づくり研究会では、この1年間「どのようにすれば楽しく授業研究ができるか」を研究していくことになりました。このコラムでは、そこで取り上げられる授業研究の手法や取り組みの様子、そのよさや課題をお伝えしたいと思います。授業研究がテーマですが、「授業で大切なことは何か」「教師が成長するために必要なことは何か」「授業研究が愛される学校づくりとどうかかわるのか」といったことにも触れていきたいと思っています。
【 第1回 】授業研究は楽しい?!
授業研究をテーマに12回の予定で連載させていただきます。このタイトルに「楽しく」とあります。皆さんはこの「楽しく」に違和感を持ちますか?それとも納得しますか?私は教師時代、授業研究には否定的でした。はっきり言って研究授業はやりたくない、授業研究には参加したくない。そう思っていました。研究授業をやっても自分の授業がよくなるとは思えなかった。検討会で意見を言ってもそれが深まり共有されていくとは感じなかった。それが理由です。授業研究は、めんどうくさいもの、つまらないものの代表でした。
地区の初任者研修で研究授業をおこなった時のことを思い出します。たくさんの人が見にきてくれますので、私もそれなりの準備をして臨みました。教科書の範囲外の応用的な内容を自作のプリントでおこないました。自分なりに工夫もして、子どもたちの反応にも手ごたえを感じました。 しかし、検討会での担当校長の第一声は、授業の内容や授業技術に関するコメントではなく「心臓に毛が生えている」でした。参加者のコメントも「生徒がいいからこういう授業ができる。うちの生徒では無理」といったものです。俗にいうナンバースクール(旧制の1中、2中、・・・と校名に数字がつく伝統校)だったので、授業が成立しているのは生徒のおかげだというわけです。こう言われてしまえば、もう何も返す言葉はありません。一生懸命準備して臨んだ自分がバカに思えました。この他にどんなコメントがあったかはよく覚えていません。印象に残ったのはこの2つだけだったということは、他のコメントも授業の向上の参考になるようなものではなかったということでしょう。授業研究が楽しくないと思われる方は、私と似たり寄ったりの経験をされているのではないでしょうか。
一方、指導主事の学校訪問の研究授業に自ら手を挙げる先生がいらっしゃいました。私が授業アドバイスをしていた学校でのことです。その年の研究授業は他の若手の先生が指名されていました。その事前検討を若手中心におこなったのです。教科はバラバラです。それでも、互いに意見を出し合いながら授業をブラッシュアップしていきました。当日の授業はとても素晴らしいと評価されました。授業づくりに参加された先生方は自分のことのようにうれしく思うと同時に、授業者も自分たちも成長したという手ごたえを感じたことでしょう。だからこそ、その中の一人が、「来年は私がやります」と立候補したのです。自分も研究授業をおこなうことで同じように成長したい。そして、何より授業をつくっていく過程を楽しいと思ったに違いありません。成長の手ごたえを感じることが楽しくないわけがないのです。翌年、その先生は本番直前まで授業をブラッシュアップして臨みました。直前の授業を見ましたが、1年間の成長がしっかりとみて取れるものでした。もちろん本番の授業もとても高い評価を得たそうです。今やその学校にとってなくてはならない先生に成長されています。
この違いは何でしょう。明白です。授業研究を通じて自分が成長した、成長できると感じるかどうかの差です。成長できれば楽しいに決まっています。では、授業者だけでなく、参加した先生すべてが、成長できるような授業研究はどのようにすればよいのでしょうか。その一つの要素は主体的に参加することです。主体的に参加すれば、必ず学ぶことがあります。学ぶことがあれば成長できます。そうなるといかにして参加者を主体的にするかが問題となります。逆説的になりますが、みんなで「楽しく」授業研究をすることが求められるのです。
というわけで、愛される学校づくり研究会では、この1年間「どのようにすれば楽しく授業研究ができるか」を研究していくことになりました。実際の授業でとはいかないので、会員が子ども役となって模擬授業をおこなう形で研究を進めていきます。毎回、楽しく授業研究を進めるための新しい手法に挑戦します。模擬授業を実際の授業の代替と消極的にとらえるのではなく、教師が子どもの視点で授業を見る、その場で何度でもやり直せるといったよさを積極的に活かして授業研究を進めたいと思っています。次回から、どのような手法を考え挑戦するのか、その結果はどうだったのかをお伝えしていきたいと思います。
(2013年3月25日)