愛される学校づくり研究会

★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。

【第50回】中川行弘 先生
 「機能と役割」

「かわいい小学生とともに野山を駆けまわり、四季折々の学びを子どもたちとともにたのしもう」と夢に描いて、死にものぐるいで何とか採用試験に合格しました。しかし、赴任先に決まったのは、中学校でした。その当時、全国の中学校では校内暴力の嵐が吹き荒れていました。事前の訪問で「1年生の担任をしてもらうから」と教えていただきました。中学校に赴任することを全く予測していなかった私は「中学生の担任としてともに学びをたのしもう」と気持ちを切り替えて準備をしました。

実際には副担任でした。夢が次々と打ち砕かれていくような感じでした。1年生の副担任として赴任した私は「学級経営は担任の先生の仕事。自分はお手伝いをするだけ。来年に向けてしっかりみて学ばせていただこう。今年は社会科の授業と剣道部の指導をすればいい」ぐらいの生意気な考えでいました。

事件は1学期末におきました。学期末で先生たちは事務処理等に追われていました。私は先生たちのおかげで、初めての評価・評定を何とかやり終えていました。「これをやってくれるとうれしいなあ」という学年の先生たちからの声が幾度か聞こえてきましたが、副担任の私は「担任の仕事でしょ」と思いながら、分担された最低限の仕事だけをイヤイヤこなして、剣道部の指導に出かけました。

指導から戻ると、学年の先生たちがとても困っていました。私が各学級の先生たちにお渡ししたプリントの評価項目の順序がちがっていて、成績一覧表に手書きでそのまま転記された先生たちはすべてをやり直さなくてはならない羽目になってしまっていたのです。しかし、先生たちは笑って許してくださいました。

当時の自分を振り返ると、とても恥ずかしいのですが、大学時代のアルバイトの延長に近いような感覚でいたのでないかと思います。よく言うと「欧米的」。すべてを合理的に考えていて、仕事を「機能」としてとらえていました。半人前の「役割」さえも果せていない私は、本来ならば、チームの一員として、死にものぐるいで汗をかいて貢献しなくてはいけなかったのだと思います。しかし、当時の私は周りの先生たちに私の「機能」までフォローしていただき、先生たちのおかげで何とか一日の仕事を終えていたことさえよくわかっていなかったのです。

あのとき以来、私は気持ちを入れ替え、多くの先生から、学級経営・授業づくりの基礎基本を夢中になって学びました。また、この年に、この学校でも、校内暴力の嵐が吹き荒れ、「もし担任をしていたら」と想像するだけでぞっとします。他にもたくさんの失敗がありました。その都度、笑って許してくださった当時の先生たちにお目にかかると穴にでも入りたい気持ちになります。

(2011年11月28日)

失敗から学ぶ

●中川行弘
(なかがわ・ゆきひろ)

昭和59年4月より小牧市の中学校で教員生活を開始。中学校勤務27年。今年より小牧市教育委員会指導主事。剣道歴40年。桃陵中学校ホームページにおいて、「地域に学び、自分を磨き、社会に尽くし、未来を拓く」をテーマに子どもたちの学び合う姿を昨年まで発信。「学び合う文化とコミュニティづくり」に向け、全国の研修会に参加することが趣味。